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2001年2月
今月の川越探検隊では、川越城七不思議をピックアップしたいと思います。
メディアであまり取り上げられることの少ない川越城七不思議ですが、
川越を知る上で欠かせないお話ですので、ぜひご紹介したいと思います。
7つのお話がありますので、いつもよりページが長くなりますが、
よろしくお付き合いください。


第7回
川越城七不思議

初雁の杉(はつかりのすぎ)
有名なわらべ歌「とうりゃんせ」の発祥の地だといわれている有名な三芳野神社は、平安時代の創立といわれ、また川越城内に鎮座して「お城の天神様」といわれました。この神社の裏に、たいへん見事な杉の木がありました。これを一名、「初雁の杉」と呼んでいました。むかし、北の空から飛んできた初雁が、必ずこの杉の上で「ガァ〜〜」と三声鳴きながら、三度、グルッと回り、南の方へ飛び去りました。これは毎年のことで一度も忘れたことがなかったそうです。そして、このことによって、川越城は「初雁城」と呼ばれるようになりました。

霧吹きの井戸(きりふきのいど)
現在、川越市立博物館のエントランスの前に古い井戸が残されています。これを霧吹きの井戸といいます。昔、川越城は、たびたび戦の行われた場所でした。いつもは井戸にふたをしていますが敵が攻めて来て、城が危ないという時には井戸のふたを取ります。すると井戸の中より霧が吹きだし、あたり一面にたちこめ、城の回りを濃霧が包んで城を隠してしまったといいます。そうすると、敵は仕方なく引き上げてしまったといいます。敵が去った後は、またもとのように眺めの良い城になったといわれています。こうしたことから川越城のことを「霧隠城(きりかくれじょう)」とも呼びました。

人身御供(ひとみごくう)
川越城の回りは沼が多く「七ッ釜」といわれ、土地が柔らかいので城を築くのに、たいへん苦労しました。昔、太田道真、道灌の父子が川越城を築くため土塁を造っていましたが、なかなか出来上がらず困っていました。そんなある夜、沼の主、龍神様が道真の夢枕に現れて「明朝、一番早く汝のもとに現れた者を人身御供として我にさし出せば、築城は成就するだろう」と告げたのでした。道真は築城のために仕方なくお告げを守ることしました。そして朝になって一番にあらわれたのは、なんと自分の娘だったのです。さすがの道真も驚き、あきらめて、娘に夢のお告げの話をしました。すると娘は「実は私も父上と同じ夢を見ました。これは龍神様のお告げです。大勢の人のためならば私はいけにえになります」といって、皆が止めるのも聞き入れず沼に身を投げて龍神様に身を捧げました。この尊い犠牲があり、見事に川越城が完成したのは、室町時代の長禄元年(1457)でした。

片葉の葦(かたばのあし)
昔むかしのお話です。川越城に住んでいたお姫様が、戦に敗れ、夜乳母に連れられ、城を落ちのびました。そして城から少し離れた浮島神社の近く、七ッ釜といわれる、葦のたくさん生えている沼地あたりに逃げて来ました。その時、お姫様は誤って七ッ釜のひとつに落ちてしまいました。乳母は敵から逃れる身であることも忘れ、大声で助けを求めますが、誰も助けに来てはくれませんでした。年をとった乳母の力ではお姫様をどうすることもできません。お姫様は、ただもがくばかりでした。そして、近くの葦の葉にしがみつき、はい上がろうとしましたが、葦の葉はもろくもちぎれ、お姫様は片葉を掴んだまま哀れな最期を遂げたのでした。その後、七ッ釜あたりに生い茂る葦は、すべて片葉の葦になったということです。

よな川の小石供養(よなかわのこいしくよう)
昔、芳野村の名主に、およねという気だての優しい、美しい娘がいました。ある時、川越城のお小姓が、お殿様の鷹狩りのお供で芳野村へやって来た時におよねに一目惚れ。いく度か会ううちにお小姓はおよねを嫁にもらうことになりました。二人は愛し合っていましたが、武士の家へ嫁いだおよねは、毎日がたいへんでした。それに夫の姑が口うるさく、夫が登城した後はつらくあたり、いじめました。ある日のこと、およねがお殿様より拝領した大切な皿をかたずけている時、誤って一枚割ってしまいました。姑は今まで以上につらくあたり、とうとうたまりかねたおよねは家へも帰れず、小川に身を投げてしまいました。これを知った夫は、気も狂わんばかりに毎日小川へ行って「およねやー、およねやー」と呼び続けました。川底から泡が浮かび「ハーイ」とおよねが返事をするように聞こえるので、ついに夫もたまりかね小川に身を投げてしまいました。その後、この小川のそばを通る人は二人を哀れに思い、小石を拾って投げこみます。すると底の方から無数の泡が浮いてきました。そして、この小川を「およね川」というになり、いつの間にか「夜奈川」とか「遊女川」と書いて「よな川」と呼ぶようになったそうです。

天神洗足の井水(てんじんみたらしのせんすい)
昔、太田道真、道灌の父子が川越城を造るために、堀の水を貯める水源を探していました。毎日、どこかいい場所はないものかと歩きまわっていましたが、良いところがなく、困っておりました。ある日のこと、道灌がいつものように「はて、どこかに水はないものか」と、ちょうど初雁の杉あたりを通りかかりました。道灌はたちどまり、よく見ますとそこは清水がこんこんと湧き出るところでした。老人に築城のことを話しますと、それではと満々に水をたたえた水源地に案内してくれました。そして念願の川越城は完成しました。道灌は、かの老人こそ日ごろから信仰している三芳野天神様の化身だということがわかり、老人の浸かっていた井水を「天神洗足の井水」と名付け、後の世まで伝えることにしました。この水源地は城内の清水御門のあたりとも、八幡曲輪、三芳野神社付近ともいわれております。

城中蹄の音(じょうちゅうひづめのおと)
江戸時代になったばかりの頃、川越城は豪勇でその名を知られた酒井河内守重忠候が城主でした。夜も更け皆が寝静まると不思議にも城中にどこからともなく矢叫びや蹄の音がけたたましく聞こえてきました。そんなことが毎晩のように続きますので、天下の豪勇も怖くなり、易者に占ってもらいました。そうしますと城内に何か戦の図があって、それが災いしているとのこと。さっそく家臣に命じ、宝物庫を調べたところ、占いの通り、堀川夜討の大戦の屏風画が一双見つかりました。これが原因かと屏風画を引き離すことにしましました。そしてその半双を日頃から信仰していた養寿院に寄進しました。そうすると不思議にもその夜から矢叫びや蹄の音も聞こえず、安心して眠れるようになりました。この屏風画は今も養寿院の秘蔵として残っているということです。

 

次回は、新河岸川舟運をご紹介します。


お城(川越城)の天神様であった三芳野神社

 


市立博物館の前にある霧吹きの井戸(きりふきのいど)

 


様々なストーリーを紡いだ川越城の遺構・本丸御殿

 


川越城を築城したとされる太田道灌の像(市役所前)


コンテンツ制作にあたり、いくつかの文献を参考にさせていただきました。
また、ご協力いただいたすべての方々に感謝いたします。

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