Sponsored by

2001年10月
今回は、三芳野神社を探検してきました。
三芳野神社は、「お城の天神さま」として多くの人々に親しまれ、
童謡「とうりゃんせ」が産声をあげた地であるともいわれています。
あまり知られていませんが、社殿をはじめ、
奉納された社宝なども、価値の高いものです。
さあ、三芳野神社の探検をはじめましょう。


第15回
三芳野神社

 三芳野神社は、平安時代初期の創建とされ、川越城築城後は城内の守護として、歴代城主をはじめ多くの人々の篤い崇敬を受けてきました。旧川越城内の天神曲輪にあり、四方を土塁と堀に囲まれていました。この点から「お城の天神さま」ともいわれています。

 現存する社殿は、寛永元年(1624)川越城主酒井忠勝が三代将軍家光の命を受けて造営したもので、幕府の棟梁鈴木近江守長次によって再興されました。翌寛永2年には、天海大僧正を導師として遷宮式が行われました。これ以後、喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となりました。

 明暦2年(1656)には、四代将軍家綱の命を受けた川越城主松平信綱により大改造が行われ、施工には著名な幕府の棟梁木原義久があたりました。この大改造の時、江戸城二の丸の東照宮本殿を移築し当本殿とし、寛永に建てられた拝殿との間に幣殿を新しく設け、権現造りの形態としました。その格調の高さは桃山時代の気風が反映されているといわれています。三芳野神社は、埼玉県内における初期の権現造りとして、最も優れ、たいへん重要なものです。平成元年(1989)には、大修理がはじまり、平成4年(1992)に完成しました。この第1期工事では、基礎的修理と防災工事が行われましたが、全体の塗装や飾り金具工事などは行われておらず、早い第2期工事が待たれています。

 三芳野神社には、「三芳野天神縁起(県指定文化財・絵画)」、「拵え付太刀(県指定文化財・工芸品)」、「銅製扇形額(重要美術品・工芸品)」をはじめ、奉納された社宝が数多く伝わっています。特に、『三芳野天神縁起』は、創建から遷宮式までを伝説と史実を織り交ぜて綴られたもので、極彩色の大和絵と流麗な仮名混じりの詞書からなるたいへん美しく豪華な縁起絵巻です。県内では、美術的にも、歴史的にも極めて貴重なものです。この縁起は、松平信綱が奉納したとされ、撰文は林道春(羅山)、書は本阿弥光悦、書は勝田沖之丞によるものと伝えられています。縁起が納めれている付属の金梨地漆塗外箱も県指定文化財となっています。

 この三芳野神社周辺は、いくつかの伝承に彩られた場所でもあります。神社の裏手には、初雁の杉と呼ばれた大きな杉の木があり(現在は三代目)、毎年必ず雁が必ずこの杉の上で「ガァ、ガァ、ガァ」と三回鳴きながら、三度グルッと回り、南の方へ飛び去ったという言い伝えがあります。また、童謡「とうりゃんせ」は、三芳野神社の参道を舞台に生まれたという説があります。全国的に知られるこの童謡も、今では小江戸川越のテーマソングといった感があります。そして、歌物語として有名な『伊勢物語』の中では、物語の主人公・在原業平が東下りをしてきた時に“入間の郡みよしの里”を訪れたとなっています。三芳野とは、優れた良い土地、景勝地であるということを表し、川越を中心とした周辺の土地は古くからこう呼ばれていました。

 三芳野神社のある初雁公園は、たいへん緑が多く、野球場と市民プール、公園があり、多くの人々の憩いの場になっています。この日も、社殿の前の石段に腰掛けて話し込む小学生、自転車を止めて境内で立ち話をする買い物帰りの主婦、脇のベンチで一休みをしているサラリーマン、またお参り、観光の方々といろいろな人たちがいました。場所は、川越城本丸御殿や川越市立博物館と目と鼻の先にありますので、気軽に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。今日も深い緑に囲まれて、三芳野神社は静かに佇んでいます。

 

次回は、山崎美術館を探検する予定です。


寛永元年、徳川家光の命により建てられた拝殿。

 


お参りに訪れる人も多い。足元では猫がお昼寝。

 


秋の木漏れ日がさす参道。春の桜の時期も美しい。

 


三代目の初雁の杉。伝説は語り継がれています。

 

コンテンツ制作にあたり、いくつかの文献を参考にさせていただきました。
また、ご協力いただいたすべての方々に感謝いたします。

− 小江戸探検隊トップページへ −