1.焼け残っていた蔵〜大火から生まれた蔵造り〜
川越は、1457(長禄元)年に太田道真・道灌により川越城が築城され、江戸時代に入ると江戸城の北の守りとして重要視されました。代々江戸城の重臣が藩主を勤めました。川越一番街商店街は東武東上線・JR埼京線川越駅から2キロほど北側、小江戸川越のシンボル「時の鐘」がそびえ、江戸の風情を感じさせる蔵造りの町並みが残っている商店街です。
価値のあるものは苦境や逆境の中から生まれてきます。川越はこれまでに多くの大火を経験してきました。1638(寛永15)年の大火では、町の半分と川越城、喜多院をほぼ焼失します。翌年から知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が復興に努め、町割(まちわり)を行いました。この町割が現在の川越を形づくるきっかけとなりました。
1893(明治26)年の川越大火では、町の全戸数の3分の1以上を焼失するという未曾有の大惨事に見舞われますが、焼け残ったのがいくつかの蔵造りの建物でした。耐火性に優れていた土蔵が川越の商人達に見直され、次々に蔵造りの店舗が建築され、明治末期には見事な蔵造りの町並みが出現したのでした。
川越の蔵造りは、主に明治時代に建築されたものですが、川越商人が新河岸川の舟運を通じて江戸の影響を強く受けていたことを物語ります。あえて蔵造りを選んだ川越商人達の選択はたいへん興味深いものです。川越では倉庫としての蔵ではなく、店舗「店蔵」として使われていることが特徴です。
今では川越の大きな魅力のひとつである蔵造りの店舗も、1960〜70年代には、古くて暗くて使いづらいなどとどんどん邪魔物扱いされ、壊されるものも多くなりました。60年代半ばには商業の中心地がどんどん川越駅前に移っていきます。ベッドタウン化が始まり、住宅は郊外へ建ち並び、大型店舗や銀行は川越一番街商店街から集客力があり利便性の高い川越駅前周辺へ移転するようになっていきました。
そして、川越一番街商店街は活気もなく人通りのない商店街になっていったのです。時代は高度成長期。駅前には近代的で明るい店舗が展開され始めました。時代の波には勝てなかった蔵造りが見直されるようになるまでは、もう少し時間が必要でした。