3.「川越蔵の会」発足と「町並み委員会」の設立
1980年代に入って、蔵造りを取り巻く環境は大きな転換期に入ります。1983(昭和58)年に住民主体のまちづくりや商店街活性化による景観保存などを目指して「川越蔵の会」(現NPO法人)が設立されます。それまでは文化財や建築関係の大学の先生などが川越の蔵を残すように提案しても、それが住民運動的なものには結びつかなかったのです。商店街と周辺の若手の4人が集まり、自分達で町づくりをしようと議論したのが、「川越蔵の会」の発足となったのです。また、きっかけの一つに、川崎市の映像祭で川越市の広報職員が作成した『蔵造り-まちづくりの明日を問う』と題したビデオが自治体部門賞を受賞し、その賞金をまちづくりに生かすための基金にしようということもありました。この会は、町並みに目覚めた川越市役所の若手職員が黒子となり、地元の商店主が中心となって、外部にいた川越の町並みファンも加わって結成されました。商店主の何人かは、青年会議所で町並み保存運動に取り組んだ経験のある人たちでした。
1986(昭和61)年に川越一番街商店街は中小企業庁の「コミュニティマート構想」モデル事業にエントリーし、1年間かけて「川越一番街商店街活性化モデル事業調査」を実施します。この動きは「川越蔵の会」のメンバーのアドバイスからはじまりました。時間をかけて組合員の意見を聞き取り、検討を重ねた調査の結果、まちづくり規範の作成とそれに基づく個店の整備、ポケットパーク整備や核施設建設などが提言されます。この検討の中で、商店主達は気付きます。『蔵を残して活用するのではなく、商店街が活性化しないと蔵が残せない、まず商店街を活性化させる必要がある』と。こうして個性ある蔵造りを利用しようと考えるようになったのです。
そこで、川越一番街商店街は具体的な動きを開始します。商店街の下部組織として1987(昭和62)年に「町並み委員会」を発足させ、翌年にはよく知られる「町づくり規範」を策定します。これは、アメリカの建築家クリストファー・アレキサンダーの『パタン・ランケージ』をベースにして67項目で構成されたまちづくりの原則集ともいえる規範です。内容は、都市と建物に分類され、都市分野は「固有な都市・川越」、「職住一体」、「身近にみどり」、建築分野は「高さは周囲を見てきめる」、「主要な棟や建物が目立つように」、「材料は自然的素材、地場産を優先」などさまざまな項目があり、周囲との調和を尊重した提案型の規範になっているのが特徴といえます。
「町並み委員会」は、商店街メンバーの他、研究者や専門家、行政、関連自治会など25名が参加し、現在も毎月1回開催されています。改装、改築する際には、施主、設計者、建設業者らの説明を受け、67項目を審査し、規範に合わないものは委員会がアドバイスする仕組みです。委員会には、行政からも文化財保護課、まちづくり計画課(前「都市計画課」)、商工振興課の担当がそれぞれ参加しており、住民側の要請で行政が出向くことで、関係各課が対等の立場で向き合うことができ、行政内の横の連携も取りやすいメリットがあるといいます。
こうして川越一番街商店街と「川越蔵の会」によって、歴史的町並み保存と現代建築の調和による商店街の魅力づくりがスタートしました。「町並み委員会」は川越一番街商店街の下部組織ではありますが、独立性が高く、まちづくり規範を運営する役割で、「川越蔵の会」、「町並み委員会」、川越一番街商店街のどの組織に参加している人もいます。こうして1980年代後半から、川越一番街商店街は蔵造りを生かしながら、新しい建築物が調和した独特の町並みが徐々に形成されるようになったのです。まちづくりに取り組む「町並み委員会」の実績が着実に定着していきました。