4.「川越市景観条例」制定と「伝統的建造物群保存地区」指定
「川越蔵の会」や川越一番街商店街の動きと並行するように、行政サイドでも町並み関連の調査や政策が動き始めていました。1982(昭和57)年に旧建設省が歴史的地区環境整備街路事業制度を導入したことに伴い、その4年後に川越市も調査を実施。都市計画道路である中央通り線の一番街商店街部分の計画変更を含めた歩行者ネットワークの整備と、景観整備を進めるための景観条例の整備などがプログラム化され、1989(平成元)年には「川越市都市景観条例」が制定されます。その後、歴史的地区環境整備街路事業制度では、一番街商店街のすぐそばにある菓子屋横丁通り線や大正浪漫夢通りなどが整備され、周辺に魅力あるスポットが整備されることにつながっています。
また、以前から川越一番街商店街が陳情していた電線の地中化が、川越市の下水道工事に合わせて実施されることに。通常であれば歩道などに設置されるトランスボックスも、景観に配慮して民地に設置させてもらおうと、商店街役員と市役所職員が土地所有者にお願いに回り、こうして1992(平成4)年には地中化が完成。すると青い空の広がりを実感できるとともに、蔵造りの建物が一層引き立つようになり、さらに川越一番街商店街の魅力が強化されました。
このころ、川越市は伝統的建造物群保存地区指定の検討を再度住民らに掛け合っています。このころには川越一番街商店街への注目も集まり、以前に比べ商店街の理解は深まってきていました。しかし、商店を営まない住民にしてみれば、お客さんを一番街に集めるためになぜ一般の住宅まで規制を受けなければならないのかという意見があり、結局この時も、保存地区の指定は見送られることに。ただ、住民側も自治会長らが集まって「十カ町会」が発足させます。この会は、自治会や住民の勉強会の場となっていきます。
その数年後、またマンション建設問題が持ち上がります。当然、住民はマンション建設に反対でしたが、川越一番街商店街の「町づくり規範」は、あくまで自主協定のルールで、法的な強制力があるものではありません。そこで「十カ町会」において勉強会を重ね、さまざまな制度を検討した結果、一番街周辺の町並みを守っていくためには文化財保護法に基づいて、伝統的建造物群保存地区指定を受けることが一番だと結論を出します。そして、1999(平成11)年、ついに川越一番街商店街を中心とした7.8haが伝統的建造物群保存地区として指定されることになったのです。
伝統的建造物群保存地区指定までの道のりは20年以上かかりました。そこに至るプロセスには多くの困難が伴いました。しかし、町を愛する人々の努力の結晶が今こうして実りを生んだのです。