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小江戸川越
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| 『小江戸川越元町一丁目界わいマップ(PDF)』は、Adobe Systems社のAcrobat(R)Readerで表示・印刷が可能なデータ形式(PDFファイル)です。このデータを表示・印刷するには、Adobe Systems社のAcrobat(R)Reader(無料)最新版が必要です。 |
| もといちってどんなとこ?
元町一丁目町内会 長島 威 元町一丁目は旧十ヶ町の江戸期の町割りを色濃く残した町です。昭和三十六年の町名改正までは本町(ほんまち)といいました。明治になってからの大火で武家地は変わりましたが大きな長屋が数多く残されました。料亭街と共に小路の入りくんだ明治・大正の下町の香りが強く残る町です。ではご一緒に散歩しませう。 市役所は元一(もといち)です。その一番は大手門跡に立つ日展審査員橋本次郎氏の太田道灌像の彫刻です。その斜め前の角に旧本町の町名由来の碑があります。大手門のここから南へのびる通りは江戸町通りと称して江戸への街道の始まりでした。商いの町川越として旅人宿も多くあり本宿(ほんじゅく)と呼ばれ本町となりました。 正岡子規が川越の旅で『砧うつ 隣に寒き 旅寝哉』子規 の句碑が八百館跡に立っています。 市役所通りを西にとると札の辻です。「辻」は国字で十字路のこと、城下町に大切な高札の辻は防衛上一つか二つです。今も川越市の道路原標として大事な点です。 辻の小公園で一休み。橋本次郎、関根伸夫の彫刻と町内花の会の花壇が見事です。
通り過ぎた裏宿(うらじゅく)を北に入りませう。本宿に対して裏宿と云うが如く、昔はご婦人のいた宿として盛んだったようです。その中程の喜多町境を西に入ります。両側に長屋があります。このあたりは昭和四十年頃まで、芸者町として見番(この言葉も死語ですね。芸者衆の置屋をまとめて料亭にご婦人方をふり向ける事務所のことです。)も右の長屋にありましたし、川越は三業地ではなく料亭と芸者という二業組合として栄えました。(あとの一業は待合かな?)昔話は小料理若太郎姐さんに、今もお元気です。見番跡は悦子姐さんです。 長屋の中程に南へ市役所通りに抜ける小道があります。昔、この芸者横町に小夜姫稲荷と云うお姐さん方がお参りするお稲荷さんがありました。願いがかなうと鏡を納めたことから『鏡稲荷と云う』と武蔵風土記にあります。二つの裏と表の長屋を抜けるトンネルはお稲荷さんへの参道であることを遠慮して造られたと云われます。昼なお暗い小径を抜けて本通りへでませう。 右に行った札の辻は各町への境でした。北へ向えば北町、南へは南町、直進は高澤町へと昔の町名が浮かびます。 さて、南へ一番街通り蔵造りの町並みへ向います。左に江戸期に建造され川越大火をもくぐり抜けた大沢家住宅があります。この蔵造りの仕様を見て、防火に強い蔵造りとして川越の蔵造りの町並みが出来ました。又、元一鎮守の大屋敷稲荷を始めとして江戸の町にあるように、商人は競って屋敷稲荷をもったのも特徴です。 紙数がつきて後のご案内が出来ないのが残念です。この町は銭湯あり映画館あり、そばやすしや洋食屋あり、料亭あり有名コーヒー店あり、一つの町内で全て間に合う江戸下町の風情があります。川越の街の良さを是非この町で発見して下さい。いらっしゃいまし。 (『元町一丁目小史 牛若丸山車修復記念 平成十四年十月十八日』より) |
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