川越に蔵造りの町並みができるまで

現在でも川越に残る蔵造り商家。最盛期には100軒以上の蔵造り建物が街中にひしめき、町並みを形成していました。なぜ、川越に蔵造り建物が建てられたのでしょうか?

川越に蔵造りの町並みが形成される契機となったのは、明治26年の大火です。この未曾有の大火災は、川越商人たちの防火対策への意識の変革をもたらしました。川越商人は江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いで富の蓄積があり、復興のための財力は十分にあったようですが、同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えました。

大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し、商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。もっとも、東京日本橋には明治10年代に既に蔵造り建物による町並みが形成されていたこともあり、江戸の商人に対する羨望や憧憬もあったのかもしれません。

この頃、東京では既に耐火建築として、レンガ造りや石積みの近代的な建物が造られていましたが、川越商人たちは伝統的な蔵造り建物を選択しました。しかし、伝統工法に固執するわけでなく、レンガや大谷石、御影石などの新しい建築資材も柔軟に取り入れ、いわば「川越的蔵造り建物」による町並みが形成されていきました。当蔵造り資料館も1階の腰巻には人造石洗出仕上げの漆喰塗りが使用されており、黒漆喰をまとった建物のアクセントになっています。

このような土壁・漆喰塗りだけでない建物は市街地にたくさんあります。町並み散策の折には建物の各所に目を配られることをお勧めします。

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