第5回 
囃子・踊り

 
 
川越まつり当日、軽やかな囃子の音色で町中祭り気分で染まり、さまざまな面をつけた踊りが観客の目を引き付けます。川越まつりに欠かすことのできないこの囃子と踊りについて今回は見ていきたいと思います。


天孤が舞う羅陵王(仲町)の山車。囃子は王蔵流の中台囃子連。

川越の囃子は、いずれも江戸囃子の源流である葛西囃子と神田囃子の影響を受け、中台の王蔵流、今福の芝金杉流、上尾の堤崎流が中心となり、川越まつりの山車の移り変わりとともに発展してきました。

囃子はもともと神楽から発展し、享保年間に江戸の葛西郡、香取神社の神官であった能勢環(のせたまき)という人が創始したとされています。文化・文政の頃から江戸囃子は流行し、葛西囃子と神田囃子は、それぞれ各地方に広まっていきました。


芝金杉流の石田囃子連が奏でる音色にオカメが舞う頼光(三久保町)の山車。

川越市内に伝わる囃子は、もともと農村に伝わる民俗芸能であり、それぞれの村の祭礼や祝いの行事に演奏され、また川越まつりの際に、各町内の山車に乗り、その演目を披露してきました。各町内ともに山車に乗る囃子連は伝統的な繋がりから決まっています。

例えば、仲町(旧志義町)は中台が川越藩時代入会(いりあい)の地であった縁で中台囃子連が演奏し、また六軒町は明治21年、現在の山車が完成した時に試験囃子(囃子のコンクール)を開催し、その時今福囃子連が選ばれて以来、お互いが固い絆で結ばれているそうです。


「足踊り」は南田島に伝わる伝統芸能。浦島(松江町2丁目)の山車。

しかし他方では、明治から昭和にかけて、特に第2次大戦や終戦後の混乱期になくなっていった囃子連も多くみられ、囃子がなくなった町内では、名人を呼ぶなどし、町内の青年たちが自ら囃子を習い、山車に乗るようになったところも多く見られます。

囃子は、笛1人、大太鼓1人、小太鼓2人、鉦1人の五人囃子に、踊り1人で構成されます。曲目は屋台、鎌倉、四丁目、仁羽などがあり、天孤、獅子、モドキ、オカメ、狸などの面をつけた踊りが披露されます。珍しいところでは、舞台に寝ながら両足にオカメ、ヒョットコの面をつけて踊る「足踊り」もあり、観客を楽しませています。

 

 

第1回変遷 第2回天下祭 第3回山車 第4回人形 第5回囃子・踊り 第6回ひっかわせ