川越の文明開化

金融(きんゆう)の近代化

明治政府はアメリカの制度にならって明治5年(1872)11月、国立銀行条例(こくりつぎんこうじょうれい)を制定しました。
この国立銀行は、現在の国立の意味とは違い「国立銀行条例」による銀行のことであり、民間資本による会社でした。全国各地に銀行を設立させるねらいが明治政府にあったようです。しかし、この条例によって設立されたのは4銀行にすぎず、政府の期待は完全に裏切られるものでした。その後、条例が改正(かいせい)され、設立の出願が相次ぐこととなります。
川越では明治10年(1877)5月ごろより国立銀行設立に動きだしました。横田五郎兵衛、黒須喜兵衛などの旧川越藩御用商人(ごようしょうにん)たちにより、翌11年12月17日に川越町南町の横田五郎兵衛の屋敷(やしき)の一部を借りて第八十五国立銀行[明治31年(1898)、第八十五銀行と名前を変える]は開業しました。大正7年(1918)に新しく建て替えられた建物が、現在でも埼玉りそな銀行川越支店として使われています。

第八十五銀行