川越の文明開化

川越の学校

明治5年(1872)に学制が発布され、アメリカの教育内容を取り入れ、フランスの教育制度にならい学校がつくられました。江戸時代においては、藩校や寺子屋等で教育が行われていましたが、通うことができたのは一部の人に限られていました。
明治5年の学制により、6歳以上の子供は小学校に入学させることとし、義務教育がスタートしました。
この学制発布によって、川越にも明治6年(1873)に北学校、鍛冶(かじ)学校、相生(あいおい)学校、三芳野(みよしの)学校などが開校しました。
お寺や家老の屋敷などが校舎として使われたようです。

並木小学校(明治初年、現南古谷小学校)