川越の文明開化

ガラスの登場

今では、特にめずらしくもないガラス。だけど、このガラス、実は文明開化を期に建物に利用されるようになってきたのです。
このころの板ガラスの製造方法は、手吹き円筒法(えんとうほう)という方法でした。この方法はまず最初に、よくガラス工場で見かけるように鉄パイプの先にガラスをつけ、息を吹き込んでふくらませます。次にふくらんだガラスに鉄パイプを通してぐるぐる回し、ガラスを円筒形にします。そして円筒形になったガラスを縦に切り、開くと板ガラスが完成します。
しかしこの方法は、なかなか日本人の職人さんには難しく、しばらくの間は手慣れた外国の職人によってガラスが製造されていました。
明治40年代になり、ようやく日本人の手によるガラスが量産されるようになりました。
しかし、ガラスは当時でもかなり高価なもので財力のある家でないと購入することができませんでした。一般の家庭でもガラスが入るようになるのは、昭和の初めごろからでした。
現在に残る川越の建物の中にも明治・大正時代に製造されたガラスを目にすることができるところがあります。
波打ったガラスが天窓(てんまど)に使われていたり、窓ガラスに使われていたりしますので、注意して見学してください。

川越市蔵造り資料館のガラス窓