川越八幡宮本殿

川越八幡神社は人皇六十八代、後一条天皇(1016〜1036)長元三年(1030)甲斐守源頼信の創祀と伝えられています。

このあたりは、豪族河越氏の所領で、鎌倉時代、神社後方に河越氏の館があり、応永三十二年(1425)関東管領足利持氏が河越兵庫助の館跡地の半分を川越八幡宮神社に日供料として寄進したといわれています。

長禄元年(1457)川越城が成り、太田道灌は川越八幡宮神社を篤く崇敬し分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、殊に天正十八年(1590)以来、城主酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。酒井氏は国替後も益々崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。

文化九年七月一日(1812)姫路城主酒井雅楽頭源朝臣忠衛は御神号河越八幡宮(文字は向鳩形)の額並に掛物一幅を奉納、これより先寛永二年(1625)徳川家光日光社参の折、酒井備後守忠利は道中安泰の祈願をなし、その功により徳川家より葵紋付祭器具の寄進がありました。明治維新の際、別当万蔵寺を廃しましたが、川越城主の領する地の人は川越八幡宮神社を川越の守護神として崇敬しています。


縁結びイチョウ

境内には、縁結びイチョウがあります。平成明仁天皇がお生まれになった年に川越八幡宮神社の氏子によって男イチョウと女イチョウ二本が植樹されましたが、いつしかその二本の木は寄り添い合い、一本に結ばれたといいます。固く結ばれた二本の御神木に触れ、手を合わせると良縁に巡り逢うといわれています。

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