小江戸川越七福神めぐり
第一番 毘沙門天 妙善寺 第二番 寿老人 天然寺 第三番 大黒天 喜多院 第四番 恵比須天 成田山 第五番 福禄寿神 蓮馨寺 第六番 布袋尊 見立寺 第七番 弁財天 妙昌寺







福禄寿神とは、幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽等のご利益を現わされる方でありますが、当山の尊像は右手に霊芝、左手に神亀を持たれ、癌や脳卒中を早く治しなさい、そうすれば、福禄寿が得られますと教えています。

蓮馨寺のご案内

第五番 福禄寿神 蓮馨寺

天文十八年(1549)、川越城主、大道寺駿河守政繁の母君、蓮馨大姉は、民衆の心の安らぎの場として、当山を創建しました。開山は感誉存貞上人で、のち大本山増上寺第十世に登られた方でした。徳川時代には、関東における“十八檀林”の一つに列せられ、幕府公認の僧侶養成機関となり、多くの学僧を育てました。呑龍堂に祀られる呑龍上人(1556〜1623)は、各地を巡っては困窮する多くの人々を救い、まずしい家の子供達を寺に預かっては、勉学の機会を与え、諸々の相談事をうけては解決していったという、正に生きた仏として崇められた方でした。社会事業の先駆者であり、今日でも、霊験あらたかな仏様として、祀られています。又、新設の講堂は、全ゆる催事に広く活用され、集いの場としてご 利用頂いております。地域の祈願所、心安らぐ集いの場として、当山は多くの方々に親しまれ、今日に至っています。

●開山感誉存貞上人

戦国時代が終わるころ、天文十五年四月(1546)川越城を包囲した足利、上杉の大軍は、小田原から馳けつけた北条氏康の軍に夜襲をかけられて敗走、氏康は家老大導寺政繁を川越城将としました。又、その母君、蓮馨大姉は、仏の教を弘め、民衆に心のより所を与えたいとお考えになり、甥にあたる感誉存貞上人を招いて開山としました。これが蓮馨寺の創りであります。
開山感誉存貞上人は、蓮馨大姉の請(こい)によって天文十八年蓮馨寺の開山となり、のち大本山・東京芝の増上寺第十世に登られました。学徳一世に秀で、寺を開くこと九、門下の逸材は十指に余り、当山に帰退後も、学寮僧常に三百、偉徳は全国に知られる程でした。特に上人の浄土宗伝法改革は、感誉流といって、現在も主脈とされています。

●祈願所(呑龍さま) -毎日受付・諸願成就-

呑龍上人(1556〜1623)は、大田大光院の開山となられた方でありますが、当時上州の地には度々冷害や飢饉が続き、思案に余ったまずしい農民の間には、堕胎や間引き(嬰児殺し)をすることさえ行われました。上人は惨状を見るに忍びず、寺の禄米をひそかに出して与えたり、読み、書き、そろばんといった、生きるための教養を、まずしい人々に与え続け、又、色々な相談に応じたばかりでなく、困窮者の子弟を集めて形ばかりの御剃度を行い、お弟子(出家)という形をとって、慈悲行を続けられました。このため、救われた人々からは勿論、伝え聞いた人々からも活仏(いきぼとけ)として崇められました。子育呑龍上人という称はこうしておこり、呑龍様のお弟子入りということが、上人の没後も、特別の意味を持って信奉され、又、多くの霊験を現しています。
身を挺して民衆の苦難に赴かれたその後半生は、学究としての前半生の大きな開花であり、社会福祉事業の我が国におけるさきがけとして、生きた仏者の鏡であります。

●講堂(達丈記念講堂)        

当山では、境内を一般の方々が誰でも入れ、集える場、心を休め、明日への鋭気を養う場として開放しておりますが、この度、講堂を新設、冠婚葬祭、その他誰でも使える広場と して、運営しています。(座席:一階 90席 二階・和洋二設 各30席)


-福禄寿と仏様-

さて、七福神の中で“福禄寿”神とはどんな神様なのでしょうか。古くから中国の人々は家族の円満や、ある程度財産が具わること、そして人生(生命)が長いことを、しあわせの三つの柱として、求め続けて来たと言われています。これは、現在の我々にも当てはまる願いでもありましょう。この願いをかなえてくれる神様が、当山でお祀りしている“福禄寿”様です。
しかし、唯祈っているだけでは、この願いはかないません。強い信念(祈り)に支えられた、努力と、創意知恵が必要であることは言うまでもありません。そもそも、私達は宇宙全体の大いなる生命の世界から(先祖をとおして)生み出され、その導きによって生かされていることに気づかざるを得ません。食物や飲み物、水や空気、全てが我々を生かしてくれる大いなる恵みなのです。まずこの事実に気づいて、心から感謝の気持ちを持つことから始めたいものです。
“自分一人だけよければいい”という小さな考えをすてて、自らも幸せになると同時に、それが、他の人々をも生かす(幸せにする)という配慮を含んだものであってほしいと思います。そして、このような心がけで努力するならば、やがては人間的にも信頼され、他(他の人々や社会全体)からも、助けられ(生かされて)大いに成果が上がってゆくことでしょう。
大いなる生命の世界からの導き(仏の大慈大悲の心)が、そこに現れ出たものと捉えてみては如何でしょうか。

蓮馨寺 住職 


蓮馨寺

〒350-0066 埼玉県川越市連雀町7-1
TEL 049-222-0043
FAX 049-226-0676

川越駅東口市内バス神明町方面行きにて蓮馨寺前下車(バス7分)
川越市駅より徒歩10分
本川越駅より徒歩5分


小江戸川越七つの音風景
水琴窟(すいきんくつ)

水琴窟は江戸時代初期の茶人、小堀遠州が考えた排水装置「洞水門」から発祥したといわれています。
甕(かめ)の底に溜まった水面に水滴が落ちると、甕の空洞に反響する音色が琴に似ていることから「水琴窟」と呼ばれるようになりました。


秋の七草めぐり

尾花(すすき)
ススキは穂が獣の尾のような形をしているので尾花ともいいます。又、すくすくと立つ木の意でススキといわれました。
花言葉―勢力、活力

山は暮れ野は黄昏の芒かな   蕪村




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